弟子入りして三ヶ月後、初めて轆轤(ろくろ)を使いました。
土で形を作ることは思った以上に難しく、毎日自分の時間を使って遅くまで練習し、少しずつ作れるようになりました。 形作り・色作りと陶芸の勉強は学び・考えることが多く、終わりということがありません。それもひとつの大きな魅力でした。
家族と約束の4年間はあっという間に過ぎ、焼物屋としての自分の将来を真剣に考えなければいけない時期になっていました。いろんな形が作れるようになりましたが、弟子でいる限りは自分の形を自由に造り、作品にすることはできません。弟子入りして7年後、自由に自分の形を造りたいそんな気持ちで一杯になり、思い切って自分の窯を持つことにしました。

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自分の窯を持ったところは、九州の国東半島でとても自然に恵まれた穏やかなところです。子供の頃にすごした田舎の町に似た海の近くの町です。
ここでは、自由に造る時間がたくさんできました。 夕日の写った波や、潮の引いた海岸線、山の形、いろんなものを焼物の中の形に表現しています。
形のない土の塊から物を造る面白さは「土・遊び」の楽しさです。
この町で、自分の一つの夢を叶えるのに協力してくれる大切な人にも出会うことができました。 自分の窯を持ったことで、自分の作品を造ることはたくさんできたのですが、その作品を売ることは思っていたよりとても大変なことでした。仕事の道具を買うお金を貯めるのに、食事をしない事もよくありました。それでも自分の形を造ることに夢中になっていました。

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 独立してはじめて百貨店で個展をすることになりました。
大きなチャンスに張り切ってたくさん作品を造り、成功することだけ考えていました。
でも、作品は全く売れず個展は大失敗でした。作品に自信があっただけにとても落ち込んでしまい、自分の工房にもどったとき今まで使ってきた焼物の土も釉薬もすべて処分してしまいました。
自分がどんなものが造りたいのか、そのためにはどうしたらいいのか迷い考えていました。
そんな頃ニューヨークに行くチャンスに恵まれました。はじめてのニューヨークは悩んでいた自分に新しい刺激となり、いままで以上に大変な思いをしても、陶芸作家として生きていく決心をさせました。
ニューヨークから戻った後、すぐにヨーロッパに誘われました。子供の頃ずっと憧れていたパリにどうしても行ってみたくて、あるだけのお金をあつめていくことにしました。帰ってからの生活のことなど全く考えていませんでした。
ヨーロッパでは見るものすべてが新鮮にうつりました。街並みも建物も刺激的で、なかでも石畳の色は鮮烈で、迷っていた自分に、<こんな色の焼物を造りたい>と思わせるものでした。
ヨーロッパから帰ると待ちきれないように、それまでの作品とは全く違う自分の形・色造りに夢中になりました。これが今も続けている炭化(焼物を煙で燻す)という技法です。

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