子供の頃身体が弱かったため、家族と離れて山口県に住んでいました。そこは、海の近くのとても静かな街で、近所の友だちと公園や庭の大きな木の下でよく遊びました。
小学校に入学する年には、身体も元気になり家族の住む北九州市に引っ越すことになりましたが、学校の友だちとは言葉が違いよくからかわれていました。
小学校の図工の時間に初めて絵を描くことになりました。それまで絵を描いたことがなかったのでクレヨン・水彩絵具、絵を描く道具の使い方が全くわからず絵を描くことが大嫌いでした。街の幼稚園では、あたりまえのことがいままでいたところにはまったくなかったため、授業もわからないし、クラスの友だちともなじめずに過ごしていました。自分の気持ちを伝えることが上手にできなくて、友だちをたたいたりしてよく暴れていました。
そんな頃、北九州の絵画コンクールではじめて描いた絵が賞をとり、学校のみんなの前で賞状と、
きれいな24色のクレヨンをもらいました。このことは、自分にとって大きな喜びと自信となり、単純にも、大人になったら画家になりパリに住むことを決めてしまったほどの出来事でした。
それからは、自分に自信を持つことができ、友だちも自然に増えていき、学校もすこし好きになりました。このことをきっかけに絵画教室にも通うことになりました。

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絵を描くことに夢中になっていた頃は他のことには全く興味がなく、遊びに出かけるのも近くの美術館でいろんな人の作品を観ていました。
小学校4年生のときピカソの絵画展を観にいきました。絵画教室では、水彩画を描いていたのでピカソの油絵と焼物はとても衝撃的でした。このことは形というものに対する興味へとなりその後の自分の仕事(土・遊び)へと自然につながっています。ピカソのようになりたい!と熱望したため絵画教室の先生に無理を言って油絵を始めさせてもらい、夢中になって絵を描きました。ほんの少しのお小遣いも油絵具になっていました。

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中学に入った頃から大人たちのいる絵画教室へ通うことになりました。それまで、学校中で一番絵が上手く自信満々でしたが、大人の描く絵との差をまざまざとみせられることになりました。それでも夢中で絵を描いていたためいつも精神的な負担から体調を壊しては、入院していました。 中学3年生の高校進学を決める時期、同じ歳に描いたピカソの絵を偶然観てしまい、自分にはとても描けないと感じてしまったため絵を描くことをきっぱりやめてしまいました。初めての挫折感でした。  高校生の頃は、野球に夢中になり遅くまで練習に暮れて、全く絵を描くことをやめてしまいました。それでも美術館にだけはよく通っていました。学校を抜け出して美術館へ行くことも度々でした。絵を描くことをやめた自分に何ができるのか、そんなことをいつも考えていたような気がします。そんな時ピカソの焼物と再び出会い、形のおもしろさに惹かれて、陶芸をやることに決めました。 陶芸の勉強のやり方はたくさんありますが、両親には、大学に行って学ぶかわりに、やりたいことを自由にやらせてもらうわがままを通し、陶芸家に弟子入りすることにしました。

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