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 江戸時代の18世紀には、猿若町に新たに芝居町(猿若三座)ができ江戸歌舞伎の中心地になりました。 この18世紀半ばから江戸歌舞伎が盛んになった背景には、地方人の寄せ集めの町として17世紀のはじめに出発した江戸が1世紀半を経過して、ようやく江戸に固有の江戸語が生まれたからだそうです。それまでは、武士用語に文語をまじえた言葉を舞台で使われてきた江戸の歌舞伎が、江戸市民の言葉を舞台で使用されるようになりました。 この江戸言葉を使った歌舞伎が江戸市民の芝居として熱狂的な歓迎を受け、 風俗の流行が芝居の舞台から一般社会にも広まったようです。 芝居がファッションの場でもあった江戸時代には、役者の手ぬぐいは庶民の憧れでもありました。

代々の役者が、家紋や家の文様柄を創案して、これを大切に伝承してきたのは、家に伝わる伝統芸の象徴でもあったからだと思います。

団十郎の三升紋
菊五郎格子

 

かまわぬ

 

菊五郎の斧琴菊

 手ぬ ぐいが手を拭うことや風呂道具として暮らしの必需品であったことは、当然のことなのですが、江戸時代に生まれ、日本という国だけに馴れ親しまれ、生き続けてきた手ぬ ぐいは、タオルとは異なった全く別個性のものなのです。 思えば不思議な存在であり、木綿の染布として、江戸時代には重宝限りないものであったに違いありません。

 手ぬ ぐいの使い方の一つに冠ものがあります。
正確には、『被り』ですが、町人の儀礼的意味合いの『冠り』から日常的な被りに至っても『手ぬ ぐい冠り』と呼ばれていました。
髪を結い上げた時代の、土埃を除ける実用面と現在の帽子やスカーフのように、 粋な手ぬぐいで髪を包むのは、町人のおしゃれでも有ったのです。
旅に出るときも、手ぬぐいは欠かすことのできない七つ道具の一つで、二本以上用意するのが常識でした。
傘の下に被るのを『ふきかけ手ぬぐい』といって、日除けにしたり、腰帯にもされ、道中差しの柄に巻いたり、振り分け荷物の紐に急場の包帯に、目印の旗にもしたようです。
美艶仙女香・渓斎英泉筆
(文政)
 
天明4年に山東京伝が『たなくひ合わせ』という日本ではじめての『手ぬ ぐい展』を開催しました。当時の文化人が夫々趣向を凝らした手ぬ ぐいは、学問的な解明とは別に、江戸天明の粋人、作家、画家、役者等、市井風流人が描いた『染絵手ぬぐい』と見るだけでも楽しさいっぱいです。
京伝てぬぐい
大碇
ほし合
雪の川文字
       
   
郭巨
熊野染

 


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