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 私は『手ぬぐい店(みせ)』の長男として昭和24年に東京浅草で生まれました。 浅草は、『浅草寺』を中心とした門前町です。 江戸の昔から現在でも初詣、三社祭、ほおづき市等は、多くの人で大変な賑わいのある町です。
 私の父が大の歌舞伎好き、と言う事もあって、休みの日には、子供の頃から歌舞伎座によく家族で行きましたが、そのころ頃は、歌舞伎見物よりも帰りに銀座で食事をしたり『東京温泉』のお風呂に入ったり、たしか七種類位いろいろな風呂があって楽しかった事を懐かしく思い出します。
寄席にもよく行きました。落語や紙きり(芸人さんが動物や建物、似顔絵等リクエストすると面白おかしい話をしながらその場で紙を鋏で切ってお土産にもらえる)漫才、曲芸、なども懐かしく思い出します。
また、絵や彫刻の展覧会にもよく行きました。秋の日展で数年続けて十一代目市川団十郎さんにお会いして、役者さんも展覧会を見にくるんだと変に感心したり、同じものを見た事が嬉しかったり感動したりしました。 今考えると時間もゆっくり流れていたような気がします。
小学年の頃から家の仕事を手伝う様になりました。仕事は、手ぬぐいを鋏で切ったり(手ぬぐいは、反物で出来上がってきます)、たたんだり、手ぬぐいにのし紙を掛けたり、年中と言う訳では有りませんが、特に暮れ、正月は忙しい仕事です。除夜の鐘を聞きながら配達に行った時代もありました。
浅草・雷門
 

 私は、子供の頃から自然に、自分は将来手ぬぐい屋になると思っていましたので、16歳の頃『てぬぐい』の下絵を描くには、まずデッサンの勉強に行こうと思い、美術研究所に行きました。 そこには、地方から来て勉強している先輩や、新聞配達をしながら油絵を描いている人、一指、一指、違う色のマニュキアをした手で粘土と格闘している彫刻を勉強している女性、晴れの日は、空色のスカーフ、雨の日は、水玉もようのスカーフを頭に被ってイラストを描いている男性等、とても個性的でそれぞれが自己主張している面白い人達に出会いデッサン以外にいろいろな事を教わりながら、いろいろな仕事に、人に、憧れを持ちました。デザイン、油絵、舞台美術、など皆楽しそうな仕事ばかりです。『手ぬぐい屋』になろうと思って入った研究所で、違う可能性を夢見てしまいました。
同じ時期に、歌舞伎に興味を持ち、「大向うの会」に入れていただき、歌舞伎の決まりごとや、声のかけ方などを教えていただいたり、役者さんとの懇談会に参加したりと歌舞伎座に行くか、研究所に行くという、毎日忙しい日々でした。たまには友人とディスコに行ったり、コンサートに行ったり、美術館に行ったりと、いろいろな事に興味をもって、楽しくて寝るのがもったいないような気分の毎日でした。
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17才の時に初めて描いた作品・「きせる」



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