よく"本当の勉強は社会に出てから"という言葉がありますが、いろんな意味でよく勉強した9年間でした。
小さな会社でしたので新人研修などもなく入社した日からすぐ仕事でした。私のすぐ上の先輩たちは5歳以上も年上で皆、パリパリのビジネスマンでした。分からないことは自分で調べたり先輩をつかまえては質問したり、休みの日もほとんど仕事の関係の本を読んだり英語の勉強をしたり先輩達についていくのが必死でした。 これまでの学生生活でこんなに勉強したことはなかったように思いました。そんな目一杯の生活の中で やはり楽しみは美味しいものを食べることでした。会社の中でも食べ物やレストランについての知識だけは、先輩たちをうならせていました。
商社時代の頃

 必死に先輩たちについていき、私自身も会社の内で認められるようになると、自分にも多少の考える時間もでき 自分はこれから何をやるべきなのかという疑問がわいてきました。
既に32歳で結婚し、子供2人の父親になっていました。 そんな時、やはり若い時からの夢が心の底からわいてきました。家業を継ぐとか継がないとかという迷いはすでに消されていました。 しかし、こんなまわり道をしてしまった私にどんな食べものが作れるだろう。この疑問をぬぐうのは簡単でした。 私の一番好きなものを作ることを仕事としようということになったからです。 それが"らーめん"でした。 高級な料理も美味しい手の込んだ料理もいろいろと食べ歩きましたが、しかし、結局は一度らーめんに戻ってから また違うものを探していたからです。 そしてらーめんを食べる時にいつも思い出していたのが子供の頃となりのお店で食べたあの"らーめん"でした。 その店は、中学の頃にはもうなくなっていました。作っていたおじさんが亡くなられて閉店してしまったのです。
 

 いざ"らーめん店"を開く時には、いろいろな人たちに助けていただきました。
らーめんの調理はアルバイトでお世話になり、その後も可愛がって下さった中華料理店の社長が、 らーめんだけにしぼって短期間で指導して下さいました。又、九年間勤務していた社長は、 資金の面で銀行に掛け合い調達して下さいました。中華料理店の社長もそして、その友人の、お店を改装をしたり準備をする会社の社長もいろんなアドバイスをして下さり協力して下さいました。 今、考えると本当にまわりの人達に助けられた"らーめん店開店"でした。
 

 

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