私の家は浅草という町にあり週末や正月など、お休みのときに忙しい仕事でお店を開けていなければならず学校の休みに両親と一緒に出かけたり旅行に行ったりすることがなかなか できません。 そんなわけで、お店の休み(平日)に家族でおいしいものを食べに行くのが楽しみでした。 (母もお店の手伝いをしていたので休みの日は夕食をつくらずに食べに出かけたいという 気持ちもあったのでしょう。)
和食といわず中華、洋食とおいしいと聞いてはよく連れて行ってくれました。
小さい頃の私
 中学・高校生時代には、小さい時から続けていたボーイスカウト活動でキャンプに行き、野外で自分たちの食事を作るようになりました。
又、キャンプ中には夕食コンテストとかアイデア料理コンテストなどがあり、何かおいしいかわったものを作ってやろうという 気持ちを持ち始めました。
そして外食する時にはただ食べるだけでなくどんな風に作るのかを考えるようになったのです。
ボーイスカウト時代

 大学生の時には"長男である以上家を継ぐ"という自分の思い込みもあり (父からは、父の店を継ぐ話しは実際のところされたことはありませんでしたが) 夜間のデザインスクールへ行って洋服のデザインや型紙をつくる勉強などをしました。 しかし、何か義務感で通っている感じで身に入りませんでした。 又、"自分に向いた仕事ではないなぁ"という意識も持ち始めていました。
そんな中、大好きなスキーをやりたくて、スキー場でアルバイトをすることになり シーズン中の2〜3ヶ月をスキー場ロッジで過ごすようになりました。 昼〜夕方の4〜5時間毎日滑ることが出来るからです。 初めは雑用が主な仕事でしたがお客様に出す食事の調理をお手伝いするようになると 元々、好きな事でしたのでどんどんのめり込んでいきいつのまにか責任を持たされ 調理をさせてくれるようになりました。するとさらに楽しくなって新しい料理なども提案したり実際にお客様にお出しするようになりました。 この時が、将来の私の道を決定づけたのかも知れません。そして"家業を継がなくでも良いだろうか" という疑問を持ちはじめたのもこの時だったと思います。
ロッジの食堂で

 大学4年の6月、友人たちが就職活動で会社まわりをしている頃、私はリュック1つでアメリカに旅行に出かけました。
この頃の日本は、アメリカの影響が強くいろいろな文化やビジネスがアメリカから入ってきていました。 マクドナルドも日本で店ができはじめアメリカの音楽や風習がもてはやされ、セブンイレブン(コンビニエンスストアの始め) が日本にやってくる頃だったので、いろいろまわってみればこれから自分がやりたい何かを見つけられるかも知れないなどと考え、旅をしてきました。

 しかし、これといって自分で何がしたいというものも得られず 11月に帰国した時にはもう友人達も就職活動も終えていました。私は、冬の訪れとともに又、スキー場に出かけていきました。 そんな私も3月末には父の友人の紹介で20名ぐらいの小さな貿易商社へ就職することになってしまいました。 "なってしまった"というのは、やはり飲食をやってみたいがやはり家業を継がなくてはならないだろう。 それまでの社会勉強のつもりで...という中途半端な気持ちだったのです。

 

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