人形屋になった

人形師 藤村紫雲
私の父は、音楽家になるのが夢だったそうです。
しかし、人形屋の長男に生まれたので高等学校を途中で辞めて、人形屋という仕事をすることになったそうです。そんな父でしたから、私には「人形屋になりなさい。」とは、ひとことも言いませんでした。私は、子供ころから「自分の好きな道を進みなさい。」と、言われていました。それでも、私は人形屋になったのです。

子供の頃

昭和39年(1964年)東京に生まれた私の遊びといえば、鬼ごっこやかくれんぼ・野球のようなたくさんの友達との遊び、そして道具を使う遊びもありました。

その頃は、遊び道具の材料が変わり始めた頃でした。棒が金属でできている竹馬・ビニール製の凧やコーララベルのヨーヨー・アメリカンクラッカーなど、そしてコマやけん玉までプラスチックで作られた遊び道具が流行になりました。

雨の日などは、野球などのゲーム板やテレビのヒーローたちの絵を描いたりなど新しい遊びやマンガが楽しい時でした。そして、人形屋に生まれた私にはお父さんやおじいさんのいる仕事場も遊び場でした。
人形の材料と道具を持ち、いたずらのようなお手伝いをしていました。

外で遊ぶのと同じくらい作ることが好きで、プラモデルもたくさん作りました。小学校でも図工が好きで成績も良いほうでした。

中学生になり運動も得意で野球やバスケットボールなどをしていました。水泳や陸上競技では、学校の代表選手になり競技大会にも出場するなど、スポーツ選手に憧れていた子供時代でした。

大人になる準備

高校生になり、自分の将来を考えるようになります。

何故だか大学進学に興味の無かった私は、高校を卒業した後、どんな仕事をするのかを考えていました。
この頃には、憧れていたスポーツ選手も憧れだけになっていました。

我がままな性格のせいか、大勢の人がいる会社で働くよりも自分の考えでいろいろな事が出来る仕事を考えていました。

いろいろなアルバイトをしながら自分に向いている仕事を探しました。大工さんのお手伝い、喫茶店のウェイター、裁断した紙で便箋を作る仕事など、そして我家の人形作りのアルバイトもしました。

人形屋になった。何故?

高校を卒業して、叔父さん(私の父の弟)のところで人形作りの仕事を始めました。何故、人形作りを選んだのでしょう?

私が中学生の頃に、それまでは家で作った人形を箱に詰めて人形を売っているお店に納めていた祖父と父母たちが、区役所やデパートの依頼でたくさんの人の前で人形作りを見てもらい、人形の良さを知っていただく仕事が増えてきました。

人形をきれいに並べて、人形好きのお客様とお話をして人形を買っていただく姿を見るようになったのです。私には初めて見る姿でした。いろいろな驚きを感じたことを覚えています。

お金をいただいて買っていただいているのに、お客様がとても幸せそうな笑顔を見せ、「子供の頃から憧れていたお人形に出会えた。ありがとう。」と、お礼を言っていただいているのです。

それまでは、私たち家族が生活するための仕事としか思っていなかったのに、こんなに人に喜んでいただける素敵な仕事なのだという事を知りました。しかし、その頃は人形作りを私の仕事にしようとは思いませんでした。
中学生から高校生の初めの頃は、私には出来ない仕事だと思っていました。朝早くから夜遅くまで座り続けて人形作りをしている祖父や父母の姿を見て育ち、座り続けて仕事をする自信がありませんでした。

しかし、高校2年生の夏休みにお小遣いが欲しくて、祖父の人形作りのアルバイトをしました。お金をいただくので朝から夕方までの仕事です。夏休みのわずかな期間でしたが長い時間、座り続けて仕事をすることが出来たのです。そして、将来の仕事といて人形作りを考えるようになりました。

高校1年生で父を亡くし、3年生の時に祖父が病気で人形作りが出来なくなり、いろいろ迷いましたが人形作りをしていた叔父に「やる気があるならやってみろ。20歳代のうちならダメでも何とかなるだろ。」の言葉で人形屋になる決心をしました。

人形屋になって

人形作りを覚えるのは大変でした。今でも同じです。

仕事を始めて3・4年経った頃、私の一生の仕事は人形屋だという気持ちが強くなりました。
お金をいただける人形を作ることはとても大変な事です。

しかし、一歩ずつ作る技術を身に付けている自分に気づいて来ました。難しいと思っていたことが、いつの間にか出来るようになっている。それが楽しいことなのです。その楽しさを少しずつ感じはじめていました。

今は、その頃よりも人形作りの難しさと大変さを感じています。その代わりに楽しさも、もっと感じるようになりました。私の作った人形で人が笑顔になっていただける時があるからです。

そして32歳の時、目標のひとつだった独立をしました。人形を作る家を借り、自分で人形を作り、買ってもらい生活をするようになれたのです。


小さな仕事場ですが、大きな大きな夢の詰まった私のお城です。
大変な事もたくさんありますが、「今、好きで選んだ仕事を楽しんでいます。」

これから

人形は、世界中に色々な種類・形や作り方があります。いつから作られてきたのか、どうして人形が作られたのかなど、人形の無い国を探すのも難しいくらい昔から人々の生活に関わり続けて来ています。

私の仕事も、過去に大勢の人たちの努力で進歩して作り続けられてきています。
その人たちの努力を忘れずに、人形の素晴らしさを大切に伝え、もっと良い人形を作り続けて行きたいと思っています。
「伝統」という技術やかたちは、過去のものを守るだけでは残っていかないと思います。新しいことに挑戦し続けることで本当に良いもの、素晴らしいものが残っていくと考えています。

動くことのない人形が、笑って見えたり哀しそうにみえたり、手足の指先までが動き出しそうな表情をつくりたいと思っています。

人々は、この世に人形が無くてもきていられます。しかし、人形が無ければきていけないと思っています。

私は、”人形作り”という仕事に自信と誇りを持って、これからも続けたいと思っています。
私の制作した人形が多くの人たちの暮らし彩り、「この子」と呼ばれ愛されることを願っています。

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