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大学3年生になって就職活動が始まりましたがこれといって、はっきりした希望や目標がなく、取りあえずどこか会社に入ってサラリーマンになろうと軽く考えていました。
特に「こういう会社に就職したい!」ということではありませんから、職種を限定することもなく、かえって会社の内定が早く決まりました。
その会社は商業施設を主に建築する建設会社でした。
商業施設ということで、外食産業からパチンコ店まで興味を引かれるもので、大変満足をしていました。
しかし、入社してからが大変でした。私が配属されたのは私の入社と同時にできた新しい営業部でした。その営業部の先輩達は、優秀でやる気のある営業マンでした。もちろん、優秀と言われるひとたちですから自分に対して厳しい変わりに人に対しても(特に後輩)大変厳しい人ばかりでした。
私の心構えの甘さもありましたが、怒られる日々が続き、悩まない性格の私もさすがに悩み、ついには萎縮して営業会議があっても、発言1つ出来なくなってしまいました。
「なぜ仕事ができないのだろう。」
「なぜ評価されないのだろう。」
「一生このまま馬鹿にされたままで終わってしまうのだろうか。」
「他の人に比べて、たいした学歴がないからだろうか。」と後ろ向きな考えばかりしていました。
そんな日々が続く中で、司馬太郎の「竜馬がゆく」という本に出会いました。
それは入社して1年目の年の暮れでした。年末から年始にかけて会社が休みの時、その本を読みました。
その本を読んで、何か後ろ向きにすべて考えていたものが、嘘のように、心が晴れて、自分が考えていることが小さく感じ、晴れ晴れしく思った記憶がいまでも覚えています。又、本の主人公である坂本龍馬のすべてに心から憧れました。
一言ではいいつくせませんが、特に感銘を受けたのは心の大きさと、志の大きさです。
すべてを自分が生まれた土佐藩のことだけに捉らわれず、日本全体の国益を、世界という視点から捉えていたことです。
又、何よりも坂本龍馬の人物像です。「失敗したらまたやりなおせばよいではないか。」という言葉通り、小さなことにこだわらず、小さな事であっても大きな視点から物事を見られる性格です。
そんな本を読んで元気取り戻した私は、社会人として再スタートを切りました。

建設会社の営業の仕事というのは、建設計画をしている発注者から受注をすることがメインの仕事ですが、受注をして、いざ建築を開始するまでも極めて大変な仕事があります。
一般の家庭建てる戸建ての住宅であれば、建設計画地の周辺の家庭に、建設中の大きな音などの環境を配慮し、常に気を使っていれば周辺からはよほどの事がない限り苦情がきません。しかし、私の会社が建設をする建物と言えばビルといわれている大きな建物です。
周辺の住民もビルが建つと言えば、半永久的にビルの谷間で圧迫感を感じ、当然のごとく大きいビルに阻まれて日影になることが多くなります。又、色々なケースがありますが、大きな建物を建てる際には、周辺の住民に個別に説明に行くことや、何回かに渡って説明会を開くことが国の法律や自治体の条例などで決められています。
私が担当した物件は、世田谷の閑静な住宅街に8階建てのマンションを計画するものでした。
特にここでは、建設に際しての説明義務は厳しいもので、説明会を開催しなければなりませんでした。
説明会では建物の面積や階数そして、工事の期間など迷惑をかけるようなことのすべてに渡って説明義務があります。
最終的には、工事協定書というお互いに合意した文章を盛り込み双方の署名をします。そして、協定書を自治体に提出しなければなりません。
第1回目の説明会には、上司に同行をお願いしました。
初めての説明会は、本当に大変なものでした。建設反対と言って机をたたく人や大声をあげる人など先が思いやられるような感じでした。
もちろん説明ができるような状況ではありませんでした。
1回目は上司の同行によって、私も少しは救われたような気がしましたが、第2回目は一人で説明をしなければなりません。
勇気を振り絞って第2回目の説明会にのぞみましたが、それはもうここで泣き出したくなるような気分でした。しかし、与えられた仕事ですから、これで逃げたら一生救われないような気がして、信念をもってチャレンジをしました。これだけが仕事なってしまったお陰で、ほんとうに会社に迷惑をかけている様な気がしていましたが、半年かけて18回目の説明会で解決をしました。
解決したと言っても、基本的にはマンションを建設することにおいて合法的に計画をしているので、絶対に建てられないということではありません。つまり、建てる側が少しでも近隣住民に配慮し納得してもらうことなのです。それには、私たちの誠意はもとより、プライバシーの問題として窓を曇りガラスにしたり、マンション周辺になるべく木や草花を植えて近隣の環境と融合できる様な計画をすることなど、お互いが合意出来るような計画をすることによって解決しました。
半年間ですから多くのことが有りました。世田谷通りに○○建設会社・中山は住民の敵という垂れ幕をかけられたりもしましたし、代理人の弁護士と交渉することもありました。しかし辛かった反面、自分が本当に仕事をしているんだという自負がわき上がり、大きな自信につながりました。
上司にも「中山、変わったなあ。」と言われるようになりました。
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