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こうしてカメラマンになった

1964年東京の墨田区に生まれ育ちました。
両親は山梨の生まれですが、東京に出てきてメリヤスの仕事(服を作る仕事)をはじめました。
家の仕事は小さい頃から見ていたので知っていましたが、
この仕事をやらなければならないとはあまり思いませんでしたし、
両親もやりなさいとは言いませんでした。
でも両親みたいに家から出ない仕事は、あまりしたくないと思っていたかもしれません。

初めて写真を撮影したのは小学校4年生くらいの時、
今はほとんど見かけなくなったポケットカメラが最初でした。

その頃は電車ばかり撮影していました。
そのうち、ちゃんとしたカメラが欲しくなって、6年生の時ミノルタの1眼レフを買ってもらいました。
中学生の時も前半は、写真部に入って電車以外に風景なども撮影していました。
その頃撮影した写真です

ただ電車だけを撮っていただけで才能のかけらも感じないような普通の写真を撮っていました。

その時の記念写真ですが、この真ん中に写っているのは


この「仕事について」のホームページの仲間、
市松人形の藤村紫雲(中学校同級生)さんです。
右側が私です。
彼もこの時は写真なんか撮ったりしてました。

しかし、突然スポーツに目覚め陸上部に入りしばらく写真から離れます。
高校の時はほとんど写真を撮ってません。

進学するつもりで高校を出て、一浪していましたが、あまり目的もなく、
写真専門学校を選んだのも実は何となくだったのです。
中学の最初の頃にさわっていたカメラを引っぱり出して、写真学校に入ってしまいました。

写真専門学校に行ってからは、割と真面目に授業に出ていたし、写真も良く撮っていました。
でも、授業より実際の現場の方が面白そうだったし、 講師として教えに来ていた先生が、
実際にマスコミ関係者で、見習いなら使ってくれるということで、 2年の所を1年でやめてしまいました。

いま思い出しても、写真学校で習った細かいことなどは、 今実際の撮影現場にはあまり役に立っているとは思えないのですが、
この学校で知り合った人達は今もつき合いがあるし、とても役に立っています。
親も含めてカメラ業界に全く縁が無かったので、
1年しか行かなかった学校でも、
いろいろな人と知り合えた部分では、
もとても大きな意味を持っていたと思っています。

それからその写真学校の講師の方がやっている、 雑誌社から下請けで本や雑誌を作っている事務所に、
見習いとして使ってもらいました。
写真事務所ではないので、大きく使うグラビアの撮影などはあまり無く、
雑誌に小さく使う写真などの、簡単な撮影からスタートしました。

デビューしたのはいまはもう廃刊になっている雑誌で、お店を外から見た写真で、
とても小さい写真ですし、きっと誰でも撮れる様な写真でした、
でも自分の撮影した写真が雑誌に載っているなんて、やっぱりうれしかったです。

1年ぐらいその事務所にいたのですが、カメラマン志望なんだから、
もっと写真の仕事中心の方が良いだろうと、
「女性自身」という週刊誌の編集部を紹介してくれました。
早く一人前になりたいので、断るはずもありません。
さっそく編集部の人と話をしました。

「専属カメラマン、芸能ニュース担当」という形で、
編集部からの指示された所に行って 指示された物の写真を撮影する仕事です。

具体的には、張り込み、記者会見がほとんどで、たまにインタビューがちょっとあるくらいでした。

その頃は、三浦百恵さんという引退した女性タレントさんの私生活を取り上げた記事が、
一番売れたので、各週刊誌が競争して百恵さんのプライバシーを覗くような記事を作っていました。

張り込みなんてみんないやがる仕事です。
しかし早く一人前のカメラマンになりたいし、 21歳の若さもあって、
いきなり百恵さん取材合戦の中に飛び込んでしまいました。


そのころ百恵さんは、現在の国立ではなく高輪に住んでいました。
芸能界をきっぱりと引退した百恵さんは、そのころ主婦のカリスマ的存在になっていました。

近所のスーパーに買い物に行く姿を撮影しただけで、その姿がグラビアページになり、
買い物した内容から、その日の晩御飯を推測するような記事が書かれ、
それを読者が面白がって読むという、ちょっと異常な状態になっていました。
当然芸能記事を扱う週刊誌は各社争って張り込み行い、
いやがる百恵さんのプライバシーを覗く記事を作っていました。

その頃、芸能を扱う週刊誌は「週刊平凡」「週刊明星」「微笑」「女性セブン」「週刊女性」、
それと自分が所属している「女性自身」の6誌ありました。

例えば、百恵さんの子供の予防接種などがあると、テレビのワイドショーなども加わり保健所は、
大変な騒ぎになってしまいます。
引退したアイドルの子供の予防接種にこんなに人が集まるなんて、
どう考えてもおかしいのですが、誰も止めようとはしません。

自分達がしている事の異常さに関しては、あえて考えないようにしていたのだろうと思います。
その事について真剣に考えると答えは簡単で、その場を立ち去らないとならないからです。
それよりも、その場にいて考えることは、そこにいる他のカメラマンよりもいい角度で撮影する事です。
その為には他のカメラマンを押しのけたりするのは当たり前でした。
その争いに勝っていい角度で撮影することが、その場にいる取材陣の勝者であり、
まんがいち撮影する事が出来なかった人は敗者になってしまいます。

撮影される人の気持ちなど関係なく、みんな真剣に先を争って撮影をするのです。
そんな取材陣の中にはじめて入って、競合している他の雑誌のカメラマンにあいさつをしました。
ライバル誌のカメラマンは「君より前にいたカメラマンは百恵さんが撮れなかったから、クビになったみたいだね、せいぜい君もクビにならないように、がんばりなさい・・・・・」などと親切に教えてくれました。

はじめて自分の立場がわかりました。自分よりもまえに百恵さん担当のカメラマンがいて、
その人はあまり百恵さんのことを上手に撮影出来なくてクビになり、
その後の補充として自分が入ったのだということです。
自分はこの雑誌社に社員で採用されたわけではありません。
一人前であるかどうかなど関係なく、つねに雑誌の編集部側の要望に応えなければなりません。
要望に応えられないカメラマンはクビになってしまうのです。

カメラマンとしてまだ仕事を始めたばかりなのに、クビになるわけにはいきません。
それに実際に現場に行く前から、いやがる百恵さんを無理矢理撮影するのはわかっていることなので、
いやだったら仕事を断ればいいのです。
この雑誌社の社員ではないのでいつでもクビになってしまう可能性もありますが、
仕事を断る事もできるのです。しかし断ったら他の雑誌でカメラマンの仕事を探さなければなりません。
一人前でもないのに仕事を選ぶカメラマンに他の仕事なんて何処にあるのでしょう?

それに異常なまでの百恵さん追っかけ撮影現場も、今まではTVから見ているだけの事でしたが、
実際にその現場に行くチャンスがあるとなると、
どんな異常さなのか?見てみたいという好奇心も手伝って、
どんな仕事でも引き受けて、引き受けたからにはどんな撮影現場でも一生懸命やりました。

予防接種などの大きいイベントがないときには、
日常生活のシーンを隠し撮りするような張り込みになります。
百恵さんが住んでいる高輪のマンション出口付近で張り込む事になります。
しかし張り込まれていることを知っているので、ほとんど出てきません。
だからほとんどの張り込みがムダ足に終わってします。

日常シーンの張り込みは全ての週刊誌がそろうことは少ないし、
1年365日毎日張り込みを行っていたわけではないのですが、
芸能ニュースがヒマになると、たいていは複数の雑誌が張り込みをしていました。
そんなときは他の雑誌社のカメラマンと1日中道路で張り込みです。
ライバル雑誌とはいえ、立場は一緒だしヒマなので話をしながら1日過ごすという感じです。

だいたいお昼ご飯も一緒に食べに行きます。その方がお互いにぬけがけされる心配がないからです。
そして何もないまま夕方になり、お互いに帰る時間を話し合って決めて、
一緒に張り込みを終了するという感じです。天気のいい日などはひなたぼっこしている様な状態です。

ネタが苦しい時は夕方で張り込みを切り上げないで、日が暮れても行いました。
一見仲良く張り込みをしているライバル誌にも、夕方で張り込みを終了したように見せかけて、
またもどって自分達だけ張り込みを続けたりしていましたが、
ライバル誌をだいぬいたつもりで張り込み現場にもどると、相手もそこにいたりします。
ネタが苦しいときはどこも一緒なのです。

そうして少ないチャンスをモノにしたとき、ライバル誌の発売が怖かったです。
百恵さんの張り込みみたいな撮影は、ライバル誌同じ条件で撮影するので、
単純に紙面で比較されてしまいます。

例えばいいシャッターチャンスで撮影していなかったり、
角度が悪かったりすると「なんでこんな感じに撮影できなかったんだ!」と、
ライバル誌の紙面を見せられ怒られてしまいます。
逆にライバル誌の方が悪かったりすると、ほめてもらったりもします。

その他、記者会見の撮影も比較的早いうちに経験できました。
しかしまだ半人前なので必ず先輩のカメラマンと一緒で、
色々と教えてもらいながら仕事を覚えていきました。
記者会見も角度とシャッターチャンスが重要なので、
よりよい場所を確保して、チャンスの時にはフィルムがなくならないように、
フィルム交換に気を配りながら撮影をしていました。

また張り込み写真の本命、タレントのデートシーンなどの隠し撮り張り込みも経験しました。
最初に芸能記者の人たちが、タレントの密会情報などを入手してきます。
どこから情報を仕入れてくるかは、人それぞれで、その人間関係が芸能記者の財産だったりもします。
時々テレビのワイドショー関係者からも情報が入ったりもしました。
テレビ局はタレントの交際情報は多く持っているのですが、
ワイドショーなどで一番先にスッパ抜いてしまうと、
タレント側が怒ってドラマの仕事をキャンセルされたりして、なかなか一番先には流せなかったりします。
しかしワイドショーなどは芸能ゴシップを取り上げたいので、
雑誌の芸能記者に情報を流し、そのネタを記事にしてもらい、
その雑誌記事をワイドショーで取り上げるという形で芸能ゴシップ番組を作ったりもしていました。
しかしそんなときは、たいていライバル誌にも同じ情報が流れたりしていました。
さらにほとんどまれなケースなのですが、一般のいわゆる「たれ込み情報」などもありますが、
ほとんどモノになりませんでした。

芸能ゴシップの張り込みはかなり辛かったです。
ほとんどは情報の場所(マンションの入り口など)が見える場所に車を止めて、
車の中からその場所を監視し、
いつでも撮影できるようにカメラをそばに置いて何時間もそこで過ごしました。

これは経験してみないとわからないと思いますが、一カ所を見つめながら車の中で過ごしていると、
30分もすればあきあきとしてくるはずです。
それを何時間も続けなければならないのです。監視できる場所が車の止めやすい所とは限りません、
遠くに車を止めて人影が見えたら、すかさず双眼鏡で顔を確認したりすることもありました。

しかしほとんどモノにはなりませんでした・・・・

もっと張り込みに力を入れて、車を張り込みしやすい車に買い換えたり、
買い換えた車を張り込みしやすいように手を加えたりすればよかったのかもしれません。
実際張り込み写真を次々とモノにする写真週刊誌の人たちはそうしていました。
張り込み用に編集部で車を買った所もありました。
車を張り込み用に買い換えたりすると、ますます張り込み専門カメラマンになってしまいそうな気がしました。

そんな感じで、嫌だと思いながら張り込みをしていたので、なかなか張り込み撮影は成功しませんでした。

しかしいつまでも張り込みを続けているわけには行きません。
編集部側の指示で打ち切りになったり、まれに張り込みが成功したりして、
明日からここに(張り込み撮影現場)来なくていいとわかったときは、
とても嬉しかったです。

しかも当時全盛だった写真週刊誌が、スクープしてくれたゴシップ記事の後追い取材で雑誌を作っても、
十分雑誌が売れたので、芸能ゴシップのスクープが撮れなくても、
自分の事を使ってくれている編集部は、そんなに気にしませんでした。

芸能ゴシップスクープはあまり成功しなくても、その他の百恵さんの張り込み撮影や、
記者会見撮影などは、大きな失敗もなく済ませる事が出来たのでクビにならなくてすみました。

そして気が付いた事は、学校を卒業して大人になって社会に出ても、
いわゆる学生時代にとても嫌だった「テスト」みたいな物は続くということです。
例えばドラマの製作発表記者会見撮影の仕事が来たとします。
自分の仕事はその撮影にいって、写真を仕上げて雑誌社の人にその写真を渡すのです。
そしてその写真について雑誌社の人に毎回採点されるのです。
いい時はほめられ、悪い時はしかられます。まるでテストの結果を知らされる時みたいです。

ちょっと違うところは、その写真が雑誌の紙面となり、写真原稿料として雑誌社からお金をもらう事ですが、
毎回、雑誌社の人に写真を渡す時、「ああ、今日は何点かな?」などと考えたりしています。

そうしてもう一つ気が付いた事は、続けている事は大事な事だ、ということです。
カメラマンとしてほとんど使い物にならなかった状態で仕事を始め、漠然とした気持ちで仕事としていて、
何とかクビにならない程度の仕事しか出来なかったのに、
そんな仕事でも毎回積み重ねていけば、立派な経験になるのです。
いつしか、「この撮影・・・前のあの時の撮影に、似ている撮影現場だな・・・・」などと感じるようになり、
以前起こった失敗を繰り返さないようにする準備が出来るようになりました。

そんなことを繰り返し、現在まで19年もたってしまいました。
これからカメラマンをめざす人とは、時代がちょっとずれてしまっているので、
このページに書いてあることが当てはまるとは限らないかもしれません。
またカメラマンのタイプも色々といるので、
これはカメラマンになった方法の一例だという事を知っておいてください。

カメラマンはお金持ちになる可能性は低いけど、楽しい仕事です。
また、カメラマンになれる可能性も、他の仕事に比べて低いほうだとは思います。
これからめざす人はすぐにあきらめずにがんばってください。 きっと道は開けると思います。




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