私が生まれて育ったのは東京にある亀戸天神様(注1)の近くです。
父が弟子入りした滝口宇之吉(注2)師匠の仕事場の2階で生活していました。物心ついたときには、たくさんの職人さん達がいて遊んでもらったり、いろいろなことを教えてもらったりしました。
住んでいた所の下が仕事場だったので、金槌で鉄を打つ音や、プレスハンマーという機会で鋼(はがね)をきたえる音、ヤスリで鉄をけずる音、またはコークスが燃えるにおいや鉄のにおいにかこまれて育ちました。私は職人さん達の働いている姿を見てカッコいいなと思いました。また、いつかは、自分も職人になりたいなと思いました。

 父は仕事場の職長をしていて、大勢の職人さんたちを指導していましたが、38才のときに独立してきました。現在、住んでいる埼玉県越谷市(注3)に今から30年前に引越してきました。私が小学校4年生のころです。
父の仕事も軌道に乗り、職人さんも3人に増えたころ、私の成りたい職業は、職人から教師に変わりました。そのころテレビドラマで流行していた金八先生や熱中時代に出てくる先生にあこがれたのです。運良く大学にも合格し、社会科の先生目指して教員免許も取得してしまいました。

 父や母はけして家業を継げとは言いませんでした。むしろ母は家業を継ぐことに大反対で、こんな大変な仕事は継いでくれるなと言っていました。3才年下の弟が高校を卒業すると家業を継ぐことになりました。私は、これで自分の好きな道に進めると喜んでいたのです。
着々と教師になる準備をしていたのですが、いよいよ大学4年生になったころ何か物たりなさを感じていたのです。教育実習へ地元の中学校へ行ったのですが、教師になる夢がわかなかったのです。
そのころ弟は、きびしい修行をしていました。その様子を見て、私もやっぱり職人になりたいと思うようになりました。小さいときから見ていた父の姿や職人さんたちの姿が忘れられなかったのかもしれません。


注1:
亀戸天神様…学問の神様として毎年受験のころには、たくさんの参拝者が訪れます。私が子どものころは遊び場で毎日、おにごっこやかんけりをしていました。

注2:
滝口宇之吉…現在の彫刻刀を考案した人です。滝口宇之吉さんの親や兄弟、親戚はほとんどが鍛冶屋でした。

注3:
越谷市 … 東京のベッドタウンで人口は約30万人です。浅草から東武線の準急で30分ぐらいで、田んぼがたくさんあるのどかな町です。