
あきらめきれずに浪人しているとき、父の知り合いのグラフィックデザイナーのお手伝いをすることになりました。広告のためのポスターやパンフレットなどを作る仕事です。ひとつのものを作るためには、たくさんの仕事が重なり合っていることを知りました。アイディアスケッチ、レイアウト、コピー(キャッチフレーズや説明などの文章のこと)、写真、イラスト、版下、印刷に対する技術や知識、そして、何故こういうデザインなのかを説明するプレゼンテーションというテクニック。一枚のポスターを作り上げるには、ざっと挙げてもこれだけの仕事が必要なのです。「こんなに面白い世界があったのだ」写真だけではない、色んな仕事に触れることのできるこの仕事こそが、自分の生きる道なのだと思い、そのまま弟子入りさせてもらいました。まったく知らないことだらけで、毎日脂汗をかきながら、それでも新しいこととので会いの連続でウキウキしていたことを思い出します。
制作の関する仕事を覚えてきて、少し広い範囲を見渡せるようになった頃、この仕事の成り立ちがわかってきました。広告とは、企業がより多くの利益を上げるために、自社の商品を消費者に知らせるために、かなりのお金をかけて行うことです。高い性能であること、とても美しいということ、たいへん便利であること、よその商品より優れている点のアピールなど、様々です。なんとか売り上げをアップさせようとしのぎを削ります。ですから、ポスターひとつ作り手の好き勝手では作れないのです。デザインのプロから見て「これとこれだけで十分素敵なポスター」であっても、注文主である企業とすれば「あれとこれとそれも」ということになり、綺麗な画面が崩されてしまうこともしょっちゅう。「これは自分の望んでいる、もの作りのスタイルではない」そう思えてきたのです。
六年間お世話になった仕事を辞めました。ポスターという一枚の絵が、自分の思うようにかけない。ひとの意見に左右されて作るということ、これは「一生続けていけるスタイルではない」と、思ったからです。そんな頃、父は「絵馬」という形で絵を描いていました。大きな会社を辞め、幾人かの人をつかってやっていたデザイン会社を甥に譲り、五十歳のチャレンジでした。「役に立つ絵が描きたい」「俺の絵で元気を出して欲しい」絵を描く、大いなる動機を得た父は燃えていました。自分の絵は自分自身で描くもの。
「よし、俺も」
さて、父に触発されてみたものの、私には「何を書く」といったものがありませんでした。父のかっこよさをみて飛び出してはみたものの、差し当たっての目標を持ってはいませんでした。「青春の暴走」ってぇヤツです。自動車が好きで木が好き、だったので木を削って、かっこいい(自分でいうのも何ですが)車を作っていました。何台も出来上がるのですが、タイヤが上手く作れません。丁寧に丁寧に削っても、走らせてみると「ガタゴトガタゴト・・・」
そんな頃、ひとりの独楽やさんに出会いました。ろくろという、木をまぁるく削る道具を使って、色とりどりの愉快に、綺麗に動く独楽を作る名人です。私は「独楽を作りたいのではなく、自動車のタイヤが作れるようになりたい」と、話したのですが快く弟子にしてくださいました。(こんなことは滅多にありませんから、恵まれた話です)
教わっているうちに(もちろん、独楽作りを通して)タイヤができるようになってきました。愛車が、するするっと走り出したときは、うれしかったなぁ・・・
虫。そう、虫がわいてきました。タイヤだけではなく、いろいろなものを作り出してみたくなっちゃったのです。<ページ制作・殿村栄一>
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